国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその15

■フランスの理念と現実:「冒涜する自由」

 先月、パリ郊外で中学の歴史教師サミュエル・パティさん(47歳)が首を切断されるという凄惨な事件が起きた。

犯人はロシア国籍で18歳のチェチェン系難民の男性。その後、犯人はすぐに駆け付けた警官にその場で射殺された。エアガンを警官に向けたというから、自殺に近い。

私はすぐに、今年の7月に県庁所在地ポーで受けた市民講座la formation civique )のことを思いだした。市民講座とは移民の同化政策の一つで、フランスの国是、法律や各種の制度、文化等の集中研修制度だ。年々厳しくなり、現在では1日8時間、計4日間を費やす。受講者の多くはアラブ語圏からやってきたイスラム教徒だった。難民も多く、おそらくはこの犯人も同じ講座を受講していたに違いない。

その講座の中で、もっとも熱心に解説されたのが、ライシテ(laïcité)だ。政教分離無宗教主義を意味する。イスラム教徒の多い移民に対しての、重要な教宣活動なのだろう。いかなる宗教も優遇せず、公共の場に持ち込ませない代わりに、信仰の自由などの権利は平等に保障するという原則だ。例えばキリスト教徒の学校教師や病院の看護師だとしても、職場での十字架のペンダントをつけることすら禁止されていると説く。学校、病院等公共的施設には特定の宗教を示唆するようなものは一切掲げてはならないのだ。だからイスラム教徒も学校ではスカーフで顔を覆ったりはできない。ただし公共の場以外では、信仰の自由は保証されているので、どんな信仰も自由なのだという話が、かなりの時間を費やして強調されたものだ。

その犯人はどんな気持ちでそれらの話を聞いていたのだろう。おそらくは全く共感など得てはいなかったに違いない。私と同席していた、あの難民たちはどう感じていたのだろうと改めて思いをめぐらした。少なくとも、私のように「面白い」とは感じてはいなかったに違いない。

以下、ネットニュースに載った事実部分をコピペしながら考えてみたい。

この事件の遠因は2015年1月に、パリの風刺週刊紙シャルリー・エブド」本社にイスラム過激派が乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人が殺害された事件にある。

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シャルリー・エブド」の風刺画     出典)Flickr; Fanden selv

シャルリー・エブド」自体はもともと記事が下品で、フランス国内での評判も悪く、なかば潰れかけた出版社だった。ところが、ことが「表現の自由」というフランス革命以来の国是に関わる問題だけに、大きな議論を呼んだ。

表現の自由」自体は1789年に出された人権宣言11条によって保障されている。 「第11条(表現の自由) 思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一つである。したがって、すべての市民は、法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、自由に、話し、書き、印刷することができる」 。しかも人権宣言では「宗教を冒涜する自由」も認められたのだ。 「第10条(意見の自由) 何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の株序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない」 。それまでは、カトリックを冒涜することは、牢獄送りか、死刑だった。

しかし、革命により、「宗教の冒涜は死に値しない」権利を勝ち取ったのだ。ただその後、ナポレオン時代には検閲が再開し、王政復古の時代の1830年には出版の自由が停止されることになる。それらの歴史を乗り越え、一度廃止された「宗教を冒涜する自由」が復活し、ようやく第三共和制下の1881年に「出版は自由である」と定める法律が成立した。

少なくとも、権威や宗教を冒涜する自由は「法律で禁止することはない」という原則が出来上がっている。多くの血を流して勝ち取った、譲れぬ理念なのだ。

 

 

シャルリー・エブド」の事件を受けて、全国の中学校では「表現の自由」の理念についての授業が行われるようになり、サミュエル・パティ教師もその時の風刺画を教材として使ったという。一般のフランス人にとってはごく自然な帰結と映るはずだ。

ただ、生徒の中にはイスラム教徒の子弟もいるので、教師は、授業の前に、気分を害されると感じる生徒は教室から出ていってもいいと告げたというから、イスラム教徒に不快感を与えることは十分予想していたことになる。

事件の発端はその時退出した生徒の親が、SNS上にそれに対する非難を、先生の名前入りで載せたことから始まったらしい。

 

このショッキングな事件の反響は大きく、マクロン大統領はイスラム教モスクへの監視強化やサイバー上のイスラム過激主義を取り締まる構えを示し、フェイスブックツイッターなどネット企業の代表を呼び、協力を求めた。

フランス全土でイスラム原理主義に反対し、表現の自由を守るという市民デモが相次いだ。

フランスではイスラム教徒の生徒が男女一緒の水泳授業を欠席したり、教員の指示を拒否したりなどの校内トラブルが相次ぎ、今年3月までの半年間で900件以上が報告されたという。

国内のイスラム人口は8%を占めると推計されていて、国民育成の現場である学校にイスラム主義が広がることへの危機感も強く、それがパティさんへの国民的な共鳴につながった。

一般のフランス人の素朴な感情では、我々はフランスの価値観を守りたいのであってイスラム教を否定しているわけではない。どうしてもイスラム教の教えがフランスの価値観と合わないのであれば、自分の国に帰ればいいではないか。というものだ。

しかも世界で起きているテロ事件の大半はイスラム原理主義者によるものだ。一般国民がイスラム教徒を忌避する風潮はわからないでもない。

しかし、ことはそう単純でもなく、そもそもフランスがイスラム教国を植民地にしてきた歴史に遡る。植民地が独立した後には、圧倒的に経済力が優る旧宗主国イスラム教国から移民、難民が押し寄せた。それをこれも国是である友愛主義によって受け入れ、政教分離の原則で容認してきた歴史がある。そして、イスラム教徒が多く溶け込んでいる先進国に、イスラム教国からの新たな難民が押し寄せることも、ある意味わかりやすい。自分で蒔いた種とも言えるのだ。

マクロン大統領は教師の追悼集会(国葬に近い扱いだった)で「フランスは風刺画や漫画を決して諦めたりしない」「パティさんはフランス共和国を体現したから殺された」「パティさんのような静かな英雄がいる限り、私たちの未来を奪うことなどできない」と語った。

ある意味、相手を逆なでする傲慢な言いようだ。

 

こうなると、当然のごとく、イスラム教徒の反発も大きく、イスラム教国ではフランス製品のボイコット運動やフランス大使館襲撃事件が相次ぎ、フランス各地の教会を狙ったテロ事件もあいついだ。

トルコのエルドアン大統領は、 フランスのマクロン大統領には「精神の治療が必要だ」と発言。フランスは在トルコ大使を召喚し、「シャルリー・エブド」はエルドアン大統領の下品な風刺画を掲載するなど対立はエスカレート。

マレーシアのマハティール元首相までもが「イスラム教徒にはフランス人を殺す権利がある」とツイッターTwitter)に投稿した。フランス政府からの猛抗議を受けて、投稿は削除したが、反対側から見れば全く見える風景が違うことを示している。

 

日本人にはピンと来ないという方がいるかも知れない。しかし、フランスでの風刺画表現は、日本にも及んでいる。

最近、フランスの週刊紙カナール・アンシェネが、2020年の東京五輪開催と東京電力福島第1原発の汚染水問題を絡めた風刺画を掲載した。福島第1原発を背景に腕や脚が3本ある力士が土俵上で向かい合い、防護服を着たアナウンサーが「フクシマのおかげで、相撲は五輪競技となった」と実況している様子が描かれるという非常識な内容だ。

ただ、日本の報道は週刊紙カナール・アンシェネがどんな性格の出版社なのかも、書いてある内容にも触れていない。日本政府もちょっとだけ抗議の姿勢はしめしたが、本気ではなかったようだ。本気で渡り合ったら、相手の思うつぼ、逆に原発処理の暗部がさらされて、やぶ蛇だったかもしれない。

また、仏国営テレビ「フランス2」の番組が、サッカーのフランス代表との親善試合で活躍した日本代表GK川島永嗣選手の腕を4本にした合成写真を映し、司会者が「福島の影響」などとやゆしたことも記憶に新しい。この場合は日本大使館からの厳重抗議に対し、同テレビ局は謝罪したが、法で裁かれるようなことではないという態度は一貫している。

確かに、世界中に十数億人の信者を持つ宗教の始祖を、何もわざわざ侮辱することはないだろうとは多くのフランス人も私も思っている。予想される結果を考えても愚行にも程がある。

もちろん、侮辱された相手が個人や特定の団体であれば、過去にも裁判の対象にもなってきたし、名誉毀損罪が成立する場合はある。しかし、権力者や宗教者に対する風刺は、批判の的になることはあっても、それを法のもとに取り締まることは決してない。まして暴力的な報復に対しては、断固法的な処置で臨むのがブレることのない原則なのだ。その意味ではフランスも人権原理主義と言えるかもしれない。

 

しかも、今未曾有のコロナ禍の中で、フランス全体が心身ともに病んでいる最中だ。中国の強権的な対策のようなことは、共和制民主主義を国是とする国では取れないし、民主主義の効率の悪さにイライラは募るばかりだ。経済でも一人勝ちを続ける独裁国家中国に対する国民の反発も大きい。

 

フランスは第二次大戦下、親独政権をたてた経験もある。1940年から1944年までのビシー政権は親ナチスであり、国名から「共和国」を外したのだ。ドイツのナチスと同様、民主的に成立した政権だった。フランス人も国内の多くのユダヤ人を強制収容所に送ったという暗い歴史も背負っている。

 

つまり、フランスには多くの血を流し、多くの悔悟の涙を流した末に、今の第5共和制と国是を勝ち取ったという歴史の重みがあるのだ。

それが今揺れ動いている。譲れない国の理念と、国内にすでに500万人を超すイスラム教徒を抱える現実のはざまで呻吟している。2022年に控えた大統領選挙に向けてマクロン大統領は保守派の票がどうしても必要で、強硬策を打たざるを得ない面もある。

私は、フランスの歴史も学んできたし、共和制民主主義にも欠点はあるものの、現存の他の体制よりはずっとましだと思っている。

まして、私は自らの意思でこちらに移住してきた。日本語や自分の文化的背景を捨てろと言われているわけでもない。「郷に入っては郷に従え」ということに何の抵抗もない。

フランスのアイデンティティの根幹が、フランスの歴史に根ざした自由、平等、友愛にあることも理解している。特定の宗教の教義が国政の上位に位置することにも同意できない。したがってイスラム教徒の視点にたつことはできないし、一般のフランス人の感覚の方によりシンパシーを感じることは事実だ。

 

フランスがその強固なアイデンティティを保ちつつ、目の前に突きつけられた現実にどう対応し、どこへ向かうのか、目が離せない今日このごろだ。