国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその16

■時間感覚「今」

フランス、ビアリッツ(アングレット)に来て早くも1年と1ヶ月以上が過ぎた。

光陰矢の如しとは、このことだろう。

ちなみに、英語の「Time flies like an arrow」を、以前、自動翻訳アプリで、日本語への翻訳を試してみたところ「時間蠅は、矢が好き」と出て、唸ったことがある。

この「時間蠅」が私に執拗につきまとう一年ではあった。

 

振り返ってみれば、日本にいた時にも、いつも時間の移ろいの速さを嘆いていたような気がする。「今年もバタバタしていて、気がついてみればもうこんな時期になってしまいました」とは、久しぶりに出すメールの枕ことばだった。しかし、こちらに来て気がついたことは、時間の移ろいの速さだけではなく、時間そのものの感覚を呼び覚まされるとでも言おうか。「今この時」を感じさせられることが多いような気がする。

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玄関の鏡の前においてある逆進時計。

この「今」の「時間」が気になる理由はいくつかある。

一つは時差。日本との連絡や日付についても、どうしても、日本との時間差がいつも気にかかる生活が続くのだ。「今」は東京では何時だろうというのは頭から離れない。まだ軸足の片方は東京にあるのだろう。

メールやFB、ブログなどもほぼ日本語だから、投稿時間が向こうの何時になるのかは気にならないわけはない。特に電話をするときには、相手がNew Yorkであれ東京であれ、まずは時差アプリのお世話になる。あと1〜2年もすればそれも気にならなくなるかもしれないが、今はそんな生活だ。

 

もう一つは、夏時間と冬時間の変換のたびに、昨日までの6時って「今」の何時だっけ?と問い直す日々が、特に10月の最終日曜日以降と、3月最終日曜日以降のしばらくの間は続くのだ。

特に食事時間はかなり狂ってくる。

そもそも夕食時間は日本に比べるとかなり遅い。8時9時からのスタートは普通だから、これが1時間後ろにずれることになると、夏時間で言えば10 時開始ということになる。会食ともなれば2時間3時間は普通だから、「今」は数日前の夏時間だと何時だっけ?とはいつも気になってしまうのだ。

この夏冬の時間調整は、緯度的にかなり北に位置するヨーロッパならではの制度だ。夏と冬での日照時間の差が極端なのだ。ストックホルムあたりまで北上すると、6月の夏至の頃には夕焼けと朝焼けが続いてしまう。50 年も前の経験なので記憶は薄らいではいるが、午前2時過ぎには外で新聞が読めた覚えがある。逆に冬はほとんど日差しがないまま1日が終わる。なるほど、金髪碧眼はここから生まれたのかと思ったものだ。まだ肌寒い6月でも裸で太陽光を貪るように浴びる彼らの習性も、ここに起因するに違いない。

つまり、夏イコール太陽であり、長期のバカンスを取り、南フランスやスペイン(日本では北海道からせいぜい伊豆あたり)で、昼には目一杯太陽を浴び、夜は12時近くまで食事を楽しむというライフスタイルが生まれたもとがここにある。

ストックホルムから見れば、ここビアリッツはかなり南に位置する。緯度でいえば、地中海のマルセイユとほぼ同じ北緯43.2〜3度あたりだ。気温的にも温かい気候なのだが、日本でいえば、なんと北海道の小樽と同じ、札幌よりもほんの少し北にあたる。ちなみにパリの緯度は北海道から遥かに北上して樺太の真ん中からもっと上あたりだ。

札幌生まれの私でも、ここビアリッツがあの札幌と同じ緯度だと言われても全くピンと来ない。

ただ思い出してみると、ナイター設備のなかった時代の札幌の山あいのスキー場では、午後4時過ぎにはリフトは止まっていた。冬の日照時間がここビアリッツあたりと変わらないといわれてみれば首肯けないこともない。

 

もう一つ、これはかなり私の個人的な性分なのだが、子供の頃から時間的な「今」という概念が不思議で仕方がなかった。

「今」と思うこの瞬間がすぐに過去になり、何年か後に「あの時」となることが不思議で不思議でしようがなかった。

確か小学校6年生の春だったと思うが、私の時間の最先端「今」の瞬間をずっと記憶しておこうと思い立ったことがある。

当時、札幌の国鉄職員官舎は和式トイレだった。木造だったので、トイレの内装も全て木造りだった。目の前の床に接してくもりガラスの小さな明り取りの引き戸があって、周りには縦板がはめ込まれていた。目の前の羽目板にはいつも見慣れた特徴のある横流れの節目があった。私はその特徴ある節目をしっかりと記憶に焼き付けることを決意した。どこで何をしているか分からない未来に、この瞬間を思い出して時間をつなげてみたいと思ったのだ。

20年ぐらい前までは、時折その時を思い出してはその節目模様を再確認することがあった。あれから60年以上が経って、最近ではさすがに節目模様も不鮮明になってしまったが、そのときの思いだけは鮮明に覚えている。ただ未だに「今」の謎は解けてはいない。

そんな性癖のせいもあって、フランスに来てから「今」を意識する機会が増えたのかもしれない。

 

こちらに来てから気が付いたことの一つに、イギリスとフランスで1時間の時差があることだ。冬時間設定のときに初めて気がついた。

ロンドンとパリの経度はおよそ2度しか離れていない。日本で言えば東京と名古屋の手前豊橋市ぐらいの経度差でしかない。

それで1時間の時間差があるのだ。

そもそも、標準時を設定し、世界的にこれを管理するという発想自体が覇権主義的で欧州的だ。世界中のどこの都市でも太陽が真上に来たときが正午のはずなのだが、グリニッジ標準時を起点として、東西どちらに向かっても経度で15度ごとに1時間違うことが当たり前と思わせてきた。英国が世界の覇権を握っていた時代にできた世界標準だ。

ところが、時間の世界標準設定などしょせんは極めて人為的なものだということがよく分かる事例が、ヨーロッパのど真ん中にあるのだ。

現在フランスも所属しているヨーロッパ中央時間(Central European Time - CET)は、第二次世界大戦時にドイツが占領した領土にドイツ時間を適応したことが元になっている。したがって、英国はこれから外れているのだ。グリニッジの本初子午線など完全に無視されている。

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子午線など完全に無視されて設定されているヨーロッパの標準時間


 

少し調べてみると、本初子午線の起源は紀元前にまで遡る。その後のヨーロッパの歴史を通じて覇権国ないしは自己主張の強い国が自らの子午線を真ん中にして地図の標準を定めてきた。しかし、全世界の海図の標準形を創る覇権は、17世紀から19世紀にかけて、フランスとイギリスの間で激しく争われた。

 

始めは、1634年、ルイ13世時代のフランスが独自の子午線を地図の基準とすることを決定した。本初子午線は海洋上の島に設定したが、パリを標準時間の中心に据えたのだ。

一方海洋貿易が全盛期を迎えた17世紀後半を生きた英国王、チャールズ2世もまた経度の測定法を重要な課題として認識していた1人であった。

チャールズ2世は愛人であったフランス人女性を通じて、フランスでは月とそのほかの星の位置関係から、経度を割り出すことができるという話を聞き、天体の研究を直ちに開始するよう命じた。その王立天文台を設置する場所として選ばれたのが、ロンドン郊外のグリニッジだった。1675年、チャールズ2世のお膝元にある一番見晴らしの良い丘の上に作られたのがグリニッジ天文台だったのである。

その後、海洋貿易の中核には長く英国が君臨し、英国が主導するグリニッジ標準時が事実上の世界標準となる。

この結果、1884年の国際子午線会議によって、グリニッジ子午線が本初子午線として採用されることになった。しかし、プライドの高いフランスはこの採決を棄権している。

とはいえ、時代の趨勢には逆らえず、1911年にはフランスも、全ての暦にグリニッジ時を標準とすることの決議に賛成した。こうして、 1913年からは全ての国の標準時はグリニッジ時間による事になったのだ。

ところが世界の覇権にまた大きな変化が訪れる。アメリカの台頭である。人工衛星による位置測定システム「TRANSIT(GPSの前身)」を用いてより正確な位置情報を整理し、首都ワシントンを基準として世界の子午線を測り直したのだ。1969年にグリニッジ子午線の位置を測定したところ、およそ102m東にずれた子午線を本初子午線としていることが明らかになった。

このときから、主導権はアメリカの科学技術に委ねられることになり、今は、原子時計を元に算出される時間を標準とすることが協定で決められて「世界の標準」はグリニッジ標準時GMT)ではなく「協定世界時Universal Time Coordinated (UTC)」とされている。実態はUTCGMTにあわせて修正しながら使っていると言える。実際の地球の自転の速度は微妙にズレを生じるが、原子時計というのはほぼズレない。したがって、その差が0.9秒以内に収まるように常に調整されているという。

日本もフランスもこの原子時計を使っていて、本初子午線は国際慣習上、今でもグリニッジに置かれているが、事実上は国際的に連動している原子時計が主導権を握っているのだ。

以前、旧郵政省時代に小金井市にあった付属電波研究所で本物の原子時計が予備と一緒に2台並んで同時稼働しているところを見学したことがある。当時で世界1精度の高い時計で、地球の自転の誤差に合わせて時々修正するのだと聞いた。現在では、情報通信研究機構に変身し、さらに性能の良くなった原子時計を日本各地に分散管理しているという。

現在のように超精密に時間が管理されている状態では、協定世界時Universal Time Coordinated (UTC)から+1とかー5とかで各地の標準時を決めればいいだけで、±0をグリニッジに設定しているだけだ。したがって、ヨーロッパで英国時間(グリニッジ時間)に同調しているのはポルトガルだけ、他のEU各国はナチス・ドイツに起源のある中央ヨーロッパ時間を基準にしているのだ。

 

コロナ禍による外出禁止令の「今」、「時間」にまかせて、「時間」「今」を掘り下げていくと興味は尽きない。これにアインシュタインの相対性原理による時間の伸縮や、生物個体の大小による時間の違いなどを盛り込んで考察していくと、「時間」がいくらあっても足りないのである。