国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその8−2

市民講座 Day 2

第2回目の市民講座は、1週間後の7月15日、同じ会場で行われた。私は、再び同じホテルに部屋を取り、同じように前日の夕方から入った。今回は靴も歩きやすいスニーカーにした。 

行きの高速では、追い越し車線を130kmで走行中に、右車線を走る3台前の大型キャンピングカーの後輪1個が突然バーストした。続く車数台とともに右に左に蛇行しつつ、やっと切り抜けた。複数の甲高いブレーキ音が鳴り響き、いやがおうにも危機感が高まる。タイヤがダブルだったようで、横転しなかったことや、道がすいていたことが幸いして大きな事故にはならなかったが、タイヤの破片が宙を舞う恐怖の瞬間を味わった。バカンスのこの時期、長く放置されたままのキャンピングカーなどが高速に繰り出すので、車間距離を十分にとっていないと怖いのだ。

 

チェックイン後、真っ先に先週も開いていなかった美術館を訪ねたが、やはり今回も休館中だった。

1時間ぐらい街をさまよってみたが、やはりどこか烟った感じで、馴染めない街だ。きれいな街並みの一角ぐらいはあるだろうと探し、スマホの写真編集機能を使って画面を切り取ってみたが、どうだろう?こうやってみると少しはきれいな街並みに見えるだろうか。

 

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PAUの街並みを精一杯切り取った一角。下の3個の筐体は分別ゴミの収集用だ。

しかし、たむろする若者もガラが悪そうで、人気の少ない公園にも踏み入る気がしない。暗くなる前にホテルに戻り、ビールを一気に流し込んで、自作のサンドイッチをつまんだ。結構うまい。

 

翌日の朝、会議室のドアは9:00丁度に開いた。講師陣は前日から同じホテルに泊まっていたらしい。私と同じことに気づいたのだろう。

受講者も通訳の顔ぶれも同じだ。前回と同じように出席者名簿が回ってきて、それぞれ自分の名前の欄にサインをする。午前と午後2回サインが必要だ。

アラブ語グループに新顔の中年男性が遅れて到着した。マスクをしていない。何人かに注意されたが、持っていないらしい。主催者がバッグから予備のものを取り出して、それをつけるようにと渡した。

少し前まで、マスクにはコロナ予防の科学的根拠がないと、政府見解を出していたフランスが、今やどっちを向いてもマスクだらけだ。TVのニュース番組で一番耳にする単語が「マスク」だ。なぜこうなったのか、世界中のマスク騒動はよくわからない。この現象こそをパンデミックと呼ぶのかもしれない。

 

アラブ語通訳グループは人数が多いためか、通訳を囲むようにロの字の机配置になっていた。

 

今回の講義は、前回から更に踏み込んで、住まいを借りる場合の契約のしかたや契約の種類、賃貸契約の法的拘束の意味等かなり具体的な話が続く。借りる場合は事前に壁の傷の在り処などを写真にとっておけとまでのアドバイスがある。どうやら通訳自身の実体験も混じっているようだ。さらに働き先の見つけ方や、雇用契約の種類や最低賃金、労働時間制限の話などが続く。週35時間労働制で、残業も1日の計が10時間までと限定され、トータルで週48時間を超えることはできないという。雇い主にそれ以上を要求された場合の連絡先まで教えてくれる。市役所にある駆け込み寺的機能だ。私の若い頃の労働時間を考えると、当時の日本の経営者は、ここでは全員逮捕されていたかもしれない。

いずれにしろ、フランスで家を借りるつもりも、仕事もするつもりもない73歳の日本人にとっては、およそ縁のない話だ。一般教養のつもりで聞くことにした。

講義の中で、もっとも熱心に解説されたのは、ライシテ(laïcité)だ。政教分離無宗教主義を意味する。イスラム教徒の多い移民に対しての、とても重要な教宣活動なのだろう。
手元のスマホで調べてみると、1905年の「政教分離法」が元となっていて、いかなる宗教も優遇せず、公共の場に持ち込ませない代わりに、信仰の自由などの権利は平等に保障するという原則だ。

スマホ使用は自由なので、気になる項目などがあれば、即座に検索して確認ができる。スクリーン上のパワポ画面も撮影可だ。そういえば大学では、私の学生もスクリーンをシャカシャカやっていた。

講師と通訳は、何度もフランスの体制にとってそれがいかに重要な原則かを強調するのだ。

イスラム教の話の前にキリスト教徒としても、例えば学校教師や病院の看護師といえども、職場での十字架のペンダントをつけることすら禁止されていると説く。だからイスラム教徒も学校ではスカーフで顔を覆ったりはできない。ただし公共の場以外では、信仰の自由は保証されているので、よほど異常な儀式でもない限りは、どんな宗教的儀式も自由なのだ。学校、病院等公共的施設には特定の宗教を示唆するようなものは一切掲げてはならない。少し前に焼け落ちたノートルダム大寺院の復興に国の税金を使うことだけは、歴史的かつ観光的重要な建造物としての社会的価値を鑑みた特別の処置だとの説明だ。質問は極力控えていたのだが、つい、フランスの病院や薬局にはキリスト教の十字架がシンボルサインとして使われているが、あれは歴史的、社会的な慣習からのものなのか?と訊いてみた。通訳は、講師につなげることなく自分で答え、薬局は私企業だから構わないが、病院に十字架のシンボルは決して使わないという。あちこちの病院に頻繁に通っている身としては、事実として、道路上の病院を示すサインや地図上での十字架はよく見かけるし、私はそれを目印に車を運転しているのだ。少し退屈していたせいもあって、何時になく重ねて訊いてみた。通訳の女性は、頑なにそれはないと強調する。イスラム教徒の新参者が多いこの場では絶対に認めてはいけない原則を強調しているようだ。使命感も溢れている。原則を教え込むべき場所で、私のそんな混ぜっ返すような質問は意味のないことなのかもしれない。全体のコンテクストから言ってもくだらない質問をしてしまったと後悔した。

 

12時少し前に午前のセッションを終えると、前回と同じレストランで、今度は焼け過ぎのまずいチキンの昼食をとった。昼食の時、私の席にやってきたのは、先週同席した例のアフガニスタン人だ。こんなところにいる得体のしれない老日本人に興味があるらしく、今回はやたら質問してくる。住んでいる場所や、日本での仕事、東京の話、サムスンは日本企業か?等など質問攻めだった。今やソニーよりサムスンのほうが有名らしい。私が車で来ていると聞くと、その車の値段はいくらぐらいかと訊いてくる。彼がこれぐらいかと訊いてきた車の値段は、一桁違う低い数字だった。彼のこちらでの生活水準が伺われて、適当にごまかすしかなかった。私自身は自分の経済状態は周りと比べても大したものではないと自覚している。しかし、同じ講義を受けている人間と私との境遇の格差はあまりにも大きいのである。ノーテンキに自分のフランスでの立場を語っても何の意味もない。質問にも正直に答えることができなくなってしまった。何か自分が場違いなのだ。私は呼び出されたから来ただけだが、おそらく私のような年齢と境遇の人間が同席する場ではないのかもしれない。今回が特別なのかどうか知る由もないが、私と同じような立場の人間は極端に少ないに違いない。

 

午後のセッションは、引き続いて具体的な事例をわかりやすく説明してくれる時間だった。連れてきた外国籍の子供をフランスの学校に入れる場合の特別学級の制度や、健康保険への具体的な加入方法、かかりつけ医から専門病院への連携システム等々、現実的で実用的な話が続くのだった。途中、雇い主との具体的なトラブルとか、子供の学校での問題などの切実な質問も続出し始めた。私はますます疎外感を感じて、すっかり滅入ってしまい、早くセッションが終わることをひたすら願うばかりであった。前回までの抽象度の高い、理念的な話や歴史の話はとても面白く聞くことができたが、移民が日々直面する具体的な問題の話になると、個人的には全く遠い領域だ。

 

こういったセッションに参加してみると、この滞在許可証取得のための移民政策の本当のねらいもだんだん見えてくる。

要するに、移民としてこの国を目指す人々の国とフランスとの、経済的、社会制度的、そして軍事的(これは意識下の背景として意外と大きい)格差がとてつもなく大きいことが前提となっている。そこへの人道主義的救済策を名目とした人間管理政策なのだ。膨大な個人情報が入手できる。

実態は、テロ対策や犯罪防止対策、不法移民を排除するための極めて政治的な管理政策に違いがない。したがって、基本的には帰る国がなかったり、フランス語が不自由で、生活に困難を伴い、仕事を探す人が対象なのだ。

事実、50年前にパリにいた当時はこんな政策は聞いたこともなかったし、ボルドーでのフランス語テストのときも、担当者から50年前にはこんな施設は存在していなかったといわれた覚えがある。

時代とともに必要が高まって、年々強化されてきた政策なのだろう。内容は毎年のように変わってきている。

フランスを訪れる多くの観光客は主に先進国からで3ヶ月以内には帰国する。ビジネスマンとして駐在する人は家族も含めてビザの種類が全く違う。留学生はそもそもこちらの大学で学ぼうとするくらいだから、日本にいた頃から必死でフランス語を学んで学生ビザを取得し滞在許可を取得する。学生である限りは移民対策の対象ではない。シェフやパティシエの修行のために渡って来る日本人は対象になるが、もともとモチベーションが違うし、多くは日本に帰ることを前提としているから、滞在許可証取得のための退屈な研修にもハングリー精神で臨むことができる。あとは、フランス人と結婚してフランスで暮らそうとする人が対象だ。私はこのカテゴリーに属する。どうやら偽装結婚も増えているらしいから、10年ビザを取得しようとするときには、係官が抜き打ちで住所にやってきて、夫婦としての生活実態があるかどうか、記念写真のたぐいまで執拗に調べることがあるとWEBには載っている。私のところに来られても、記念写真のたぐいは全て日本に置いてあるから困る。

 

一方日本では、フランスの大企業から派遣されてきた人以外にも、日本で仕事をしているフランス人や、日本人と結婚しているフランス人もたくさんいる。片言の挨拶程度しか日本語のできない人も多い。かといってフランス語が通じるわけでもないので、下手くそな英語でことを足している人にもたくさん会ったことがある。

逆に結婚相手の日本人にはフランス語を流暢に話す人も多い。そういうカップルに政府や自治体が人道的援助の手を差し伸べることはないし、民間ボランティアが、彼らに日本文化を教えたり、様々な社会制度やコミュニティーの利便性を伝えたりすることはあっても、国費で市民講座を強制することはない。

在日フランス人に対してテロ対策の対象と考えることも、特殊な場合を除いては考えられない。

私の場合は、妻が大統領の通訳を務めるぐらいだから、日本語については読み書きも含めてほぼ完璧だった。したがって日本で暮らす限りは、私のフランス語はほぼ必要がないまま半世紀が過ぎたのだ。

日本で暮らす多くのフランス人と同じように、私もフランスでは、片言のフランス語とそこそこの英語を使えば、十分にこちらでの日常生活に不自由はない。日本語や英語で話せる相手もたくさんいるし、今やインターネットも自由に使える環境だ。

最近では様々な公的手続きもWEB上で済むようになったから、フランス語に不自由のない家族の助けを借りれば何とかなってしまう。生活に困るわけでも、仕事がしたいわけでもないので、ほとんど外部の手助けを必要としない。そういう意識と境遇の73歳の老人が、フランス移民局の難民管理体制のもとに組み込まれることにそもそも無理がある。税金と時間の大いなる無駄遣いでしかない。

とはいえ、国が定めたルールだし、承知で移住(こちらに来るまではよく分からなかったが)を望んで来たわけだから、ここは鬱陶しくても我慢するしかない。

 

幸い、今回も4時過ぎにはすべての研修は終了し、修了証を受け取って全工程は終わった。

 

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市民講座第1回と第2回の修了証。表紙(何故か2019年版だが)には、第3回と第4回めについても記載されている。

 

あと2回の履修が必要とされているが、今のところコロナ禍の影響で、全く予定の目処はたっていないという。ただ、ここまでの研修を終えたので、事実上は滞在許可が交付されたと同様のステイタスとして扱われるという。したがって、制度的義務や手続きはまだ残っているが、全く心配しなくてもいい。出入国に関しても何の障害もないと強調された。

 

帰りの高速では、ボーっと考え込んでいたせいもあって、インター入り口からの分岐車線を間違って、反対車線に乗り込んでしまった。このまま行くとトゥルーズ(Toulouse)へ行ってしまう。すぐに次のインターで降りて反対車線に乗り換えようと思ったが、一旦街へ出てナビを頼りに知らない街なかを抜けて、インターに戻るのも面倒に思えた。道路サインを見ると、20km先にサービスステーションがある。130kmで飛ばせばすぐの距離だ。一旦そこの駐車場に入って、トイレにも行き、落ち着いてスマホのナビで、インター出口から出てすぐにUターンできるところを探してみた。見るとそこから更に20km程先にそんなインターがあることが分かった。時間的には、街なかでもたもたするより早いに違いない。

ピレネーの美しい山並みを眺めながら運転を続け、自分はこんなところで一体何をやっているのだろうという物思いにふける。往復90km近くの余分な走行をした上、3時間以上をかけて帰路についたのだ。早く冷たいビールが飲みたい一心だった。