国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその8−1

■市民講座 Day 1

さて、市民講座初日の7月8日を前に、ポーまで日帰りするかどうか大いに迷った。結局安全策をとって、前日から会場のあるホテルに泊まり込むことにした。まだ移民局からは何の連絡もないが、前日から入っていれば、急な変更にも対応できるはずだ。今はコロナの影響でホテルはどこも空いている。2〜3日前になってネットでホテルの予約をとった。我ながら意外と用心深い対応に、自分の性格はこんなだったかなと苦笑してしまった。日本で移住の前に詳細なチェックリストを作って、漏れがないように作業を進めてきたクセがついたのかもしれない。

前日7月7日の夕方、小型スーツケースに着替えや洗面具(フランスのホテルには必携だ)それに召喚状やパスポート、もろもろの書類を詰めてトランクに放り込み、車で自宅をあとにする。今度は一人旅だ。

快調に高速を飛ばしてポーに着く。今回はナビに頼らなくても目指すホテルまでは簡単にたどり着けた。それでも所要時間はドアtoドアで約2時間弱はかかった。渋谷の自宅から富士山の別荘までの時間とほぼ同じだ。駐車場を塞ぐ鉄扉の前まで恐る恐る車をすすめると、自動的にドアが開いて、中庭の駐車場に入ることができた。スペースにも余裕があって、問題なく駐車もできた。

 

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会場となる貸し会議室のあるホテル

チェックイン後、時間を持て余して散歩に出る。ポーには、ナントの勅令で有名なフランス王アンリ4世が生まれた城がある。調べてみると、歩いて行ける距離でも、すでにそんな時間でもないので諦めた。

近くに大きな公園もあるので周辺の散歩にとどめた。正直街並みはさほどきれいとはいえない。曇天だったせいか、真夏なのになぜか薄汚れた寒々とした感じがする。あまり豊かな街ではなさそうだ。歩いてみると道路は犬の糞だらけ。ここ10年ぐらいで、フランス名物だった犬の糞はすっかり道ばたから消えたから、むしろ懐かしい。昔は靴の底にくっついたそれを削ぎ落とす小さな鋳物の板が建物の入り口脇に付いていたものだ。パリでも古い小路の歩道沿いには今でも残っているが、それが何か知っている人はすでに少ないかもしれない。

30分ほど歩いた頃、たまたま新しい靴を履いてきたせいで、靴ずれができてしまい、早々に引き上げることにした。前回の訪問で、あまり美味いものをだしてくれそうな店も見当たらなかったし、何より、私は一人でレストランに入るのが東京時代から大の苦手だ。自宅近所の行きつけのパン屋さんでお好みのサンドイッチを調達してきた。部屋に戻れば冷たいビールも待っている。スマホを覗いてみたら、移民局からのメッセージが入っていた。会場がこのホテルに変更になった知らせだ。なんと前日の夕方にやっと連絡がきた。なるほど・・。

 

翌日の朝、チェックアウトを済ませると、荷物を車のトランクに入れ、真夏の日差しを避けるため、屋根付きの駐車スペースに移動してから、会場前の待合いスペースに入った。入り口にはマスク必着のサインと手の消毒用ジェルが置かれている。いかにもアラブ系の家族何人かがすでに待っていた。9:00ごろ係員らしい人が現れるも鍵が開かない。結局担当者が、遅刻厳禁の会場に鍵を持って現れたのは9:10 ごろ。次回はゆっくりできそうだ。

 

召喚状の確認後、グループ分けが行われた。フランス語での受講者が4人。プラチナブロンドの長い髪をなびかせた東欧系の若い女性と、アフリカ系の女性2人。フランス語圏のアフリカ出身者だろう。それと中東系の男性だ。

私は英語の通訳付きのグループに入った。全部で4人。フィリピンからの女性とチベットからの若い亡命者と思しき2人。髪を黄色に染めた、場違いにパンクな風体の1人はドラゴンボールの漫画入のTシャツを着ている。

残りの10人ほどがアラブ語通訳付きのグループ。ボルドーの時と同じようにアラブ語系が多い。ただ国籍や民族は不明だ。女性はイスラム教徒独特のダブダブな長い服に派手なスカーフをかぶって首の下で結んでいる。何故か場違いのルイビトンのバッグを下げていた。

英語の通訳は、自分ももと移民だったというアルゼンチン出身の中年女性だった。ネイティブではないが、ゆっくり話してくれるから私にはわかりやすい。

出席名簿にサインをすると、椅子を横向けにして講師と反対側に位置する通訳に顔を向けて座る。講師の話よりは通訳からの話を聞きなさいという体制だ。

通訳は、何度も同じ内容を通訳しているので、必ずしも逐語的に訳すわけではないが、皆さんにわかりやすく説明するので、しっかり私の話に耳を傾けなさいという。感じは悪くはない。

まずはお互いの自己紹介だ。フィリピン人女性はフランス人と結婚してこちらに来て、今フランス語の勉強中。子供もいるという。チベットからきたという2人は、英語といっても通じているのかいないのかよくわからない。直にチベット人に会ったのは初めてだ。チベット語と中国語を話すという。通訳もチベット人の参加者にははじめて会ったという。

講義はパワポを使って始まった。講師はアフリカ系の男性フランス人だ。

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パワポでの解説だが、フランス語以前に文字が小さくて読めない。

スタートはフランス共和国のシンボルの紹介と解説からだ。トリコロールの国旗、国歌マルセエーズ、国是「Liberté, Égalité, Fraternité 」、など解説が続く。フランスのシンボルは多い。1789年のフランス革命についての説明もあるが、あまり詳しくはない。記念日が休日だという程度だ。そういえば来週だ。

ちなみにフランスの女性像の象徴マリアンヌは、制定当時ファーストネームとして多かった名前の上からマリーとアンヌから採ったのだそうだ。

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市庁舎などに置かれるマリアンヌ像。ときの人気女優などがモデルになることがある。

マリアンヌの由来は諸説あって、いろいろ聞いたことがあるが、この話は初めて聞いた。

 

こういった、シンボルや基本理念から解説を始めるやり方は、コーポレート・アイデンティティ(CI)を専門とする私には極めてわかりやすい。

ひるがえって、もし日本の全体像を日本政府主催で、移民外国人に説明するときにはどう始めるのだろう。帝国(エンパイアー)ではないはずの日本の象徴天皇をエンペラーと呼ぶのは何故なのか? 国の基本理念であるはずの憲法前文をどう説明するのかも極めて興味深い。まさか、敗戦国として占領軍に押し付けられたものなので、今改正しようとしているとは言わないだろうなぁ。憲法では軍隊を保持しないことになっている、したがって自衛隊は軍隊ではない、とは昔政府の真面目な見解だった。移民として日本国の体制を勉強しようとする人間にとっては、驚愕の解説だろうなぁ。

 

フランスの自治体の単位とか、5つの海外領土、世界で3億1千5百万人いるというフランス語を使う人口の話などが続く。世界で第5位だそうだ。1位は中国語で、2位はインド・ヒンドゥー語だというが、英語やフランス語が国際語化されての使用人口数と同列で比べて意味があるのかしら。少し落ち着いて聞いていると、講師のフランス語での解説と、英語通訳の話は微妙に違っていることに気づいてくる。そもそも彼女は"通訳"をしていない。講師の話をきっかけに自分の思いや知識を話すのだ。フランスの自治体の総数とか、EUの構成国数などは講師のいう数字とは違っていたりする。ただ、単純な間違いや勘違いなら、あげつらっても時間の無駄なので黙っていることにした。

 

そのうち、昼休みになって、近くのレストランまで全員で食事に行くことになった。

そのレストランとは契約ができていて、費用は移民局の予算で賄うのだという。ベジタリアンメニューなどを含む3〜4種のメニューから私はメキシカンピザを頼んだ。飲み物を訊かれたのでビールは?ときくと、さすがに駄目だとのこと。ビールもワインもなしで昼食をとるなんて何年ぶりだろう。それにしてもピザは不味かった。半分近く残してしまった。フランスでこれほどまずい料理に出会ったのははじめてだ。

同じテーブルに着いたのは、2人のチベット人と、ドイツから来たというアフガニスタン人だった。若いチベット人は、ダライ・ラマを信奉する仏教徒だというが、国籍は中国だという。どうやら逃れてきたらしい。中国の話は小声になり、詳しくは話さない。チベット人アフガニスタン人との会話は、初めて聞く言語なので何語か訊いてみると、ウルドゥー語だという。アフガニスタン人とチベット人仏教徒ウルドゥー語で話しているのだ。世界は広い。

隣のテーブルの大柄な男性は、にこやかな笑みを浮かべて親しげな視線を投げかけて来る。フランス語で訊いてみると、シリア系クルド人だという。アメリカ、ロシア、トルコがシリアで複雑に絡み合う覇権争いの犠牲者の一人だ。国際情勢の縮図の一つがこんなところにも現れているのか。もうひとりのアフリカ人は全く会話に参加しようとしない。顔を上げずに黙々と食事をしている。クルド人に訊くと、彼はスーダンからきたという。おそらく南スーダンの紛争地からの難民だろう。彼もアラブ語通訳のグループだ。皆とてつもない運命を背負ってここまできている。のんびり海辺のリゾートで暮らそうという私なんかはとても仲間にはなれそうにない。彼らはコロナの話でさえ、さほど関心がないのだ。確かに、目に見えない恐怖など、彼らにとっては話題にするほどのことではないのかもしれない。

私の目の前のアフガニスタン人は英語もうまい。母国語以外にフランス語、ドイツ語、英語を使いこなす。容姿は東洋人だが目だけが薄いブルーだ。日本にもかなり関心があるとのことだが、日本は彼らにとって遠く暮らしにくい場所だという情報が行き渡っているらしく、日本はどうだ?と訊いても、軽く微笑むだけだ。日本政府にとっては好都合なのかもしれない。

会場までどこからどうやって来たのか訊いてみると、ここからバスで10分くらいのところから来たという。同じ答えをする人が何人もいる。詳しくはわからないが、近くに移民(難民)の一時的な収容センターのようなところがあるらしい。

アフガニスタン人は、最初は難民としてフランスに来たが、その後ドイツに渡って仕事をしていたという。仕事はいろいろだというが、特に何かをやりたいというよりは、自分にできる仕事の中でペイがいいものを選ぶだけだ。ドイツはペイもよく、暮らしやすかったが、移民政策が厳しくなってフランスに送り返されたのだそうだ。ドイツに比べてフランスで仕事を探すのは大変だという。国には家族がいるそうだ。本音はドイツに戻りたいというが、表情は暗い。つい、アフガニスタンには?と訊くと、戦争中だよ、分かっているだろうという表情で答えた。馬鹿なことを訊いてしまった。境遇も会話の質も、もちろん年齢もあまりにも違う。彼は30歳だという。

 

午後の講義は、午前中に学んだフランスの理念が、具体的にどんな制度に落とし込まれているかの具体的な紹介だった。健康保険のこと、学校のこと、警察、消防、救急車の呼び方、あとは、住まいのある市役所での頼りになる福祉制度の話などだ。1:30すぎから始まった午後の部は、かなりペースダウンし、一度休憩をはさんだあと、予定を大幅に繰り上げて4:00過ぎには終了した。

一人ひとりに第1回の市民講座修了証が渡される。来週同じ曜日の同じ時間にまたここに集合するようにとの指示を最後に、全工程は無事終了である。来週もホテル泊まりのほうが楽そうだ。

 

帰りの車の中では、同席した受講者たちのことが頭から離れなかった。

それにしても、この大規模な移民の同化政策にいったいどのくらいの国費が注がれているのだろう?

フランスのあちこちで過激な行動をとるテロリストも、おそらくはこういったコースを終了した上で、フランス国内で生活していたに違いない。フランスの人道主義の基本理念は、はるかフランス革命から続く国是だ。EUの基本理念もこれに立脚している。たとえ極右が政権をとったとしても、国是を簡単に捻じ曲げることは難しいだろう。国是は時の政権よりも上位にあるのだ。それを変えるにはもう一度革命が必要なのかもしれない。一方、EUの共通の理念からイギリスが出ていってしまった。一体フランスはどこに向かって行くのだろう?