国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその6

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■フランスの薬・薬局事情

私達のようにフランスに来た頭初から大量の薬を必要とする者にとって、フランスの薬事情には戸惑うばかりだった。妻は生粋のフランス人とはいえ、日本在住期間が半世紀近くなると、年に1回程度訪れるからといって、フランスの最近の制度の事情や背景がわかるわけではない。フランス語が自由だということと、制度や習慣がすぐに理解できることとは違うのである。単純な驚きや戸惑いは日本人のそれと変わらない。

私が彼女に対して発する「なんで?」とか、「何のために?」とかの質問に答えられた試しはない。「フランス語で書いてあるだろう?」とかの無神経なイライラ質問にストレスは増すばかりだという。

 

フランスでも医者から処方箋を出してもらって、それを薬局に持参し、購入するという基本は日本と同じだが、医薬分業のコンセプトの違い、制度や文化的発想の違いなどを理解するまでは、驚いたり、呆れたり、摩擦の連続である。

1年近く毎週のように医者と薬局に通った末に、ようやくわかったことがいくつもあるのだ。

一つは薬に対する医者と薬局(薬剤師)の基本的な立ち位置の違いである。

フランスでは、同じ薬でも純粋にその効能を特定する原薬品名と、その原薬品を違う名称で表す複数の商品ブランドとが存在する。医者は原薬品名を使い、薬剤師は商品ブランドを使うと言ってもいい。

厄介なことに、その名称が同じ場合と違う場合がある。二重ブランド化していて原薬品名が小さく併記されていたりするのだ。フランスの薬剤師は複数の商品ブランドの中から、売りたいものを自由に選択して提供する権限があるのだという。

薬剤師は単に医者の指示に従うだけではないのだ。薬品販売事業者として利益を追求する独立した権利が与えられている。ジェネリック医薬品の指定権限も薬剤師に与えられている。具体的に薬の商品ブランドを指定することに関しては、医者よりも強い決定権を持っている。

したがって、医者の処方箋に書かれた薬品名(原薬品名)と、薬局から渡される薬のパッケージに記されている薬品名(商品名)とが異なっている場合がよくあるのだ。事情を知らない間はそのたびにパニックになったものだ。 薬を手渡される時、一応中身の薬品名を確認してはくれるが、10種類を超える耳慣れないフランス語の薬品名を口頭で聞かされても右から左へ抜けて行く。領収証は処方箋の裏に小さな文字で印字されているから、後で突き合わせて確認するのも簡単ではない。その上、時々入れ間違いもあるから、そのたびに薬局へ戻り、再び並んで待った上、再確認して替えてもらう。何度もやっていると、間違いや勘違いはこちらにも出てくることがある。NADIAは一時期、薬局恐怖症になってしまった。

 

一方、日本の暗黙の常識では、薬剤師は医者の下に位置づけられているから、薬剤師は医者の指示に絶対的に従うのが当然と思ってしまっている。薬局の役割は、医者の処方を細かく整理分類して受け渡すためだけのところだ。したがって、窓口でいちいち症状を聞かれたりすると、つい鬱陶しい思いにかられてしまう。余計な問答で、わけのわからないコンサルフィーを上乗せしているのだろうと、勘ぐったりもしてしまう。

日本では処方箋と受け取る薬の名前に違いが出るなどということは、ジェネリック薬以外ではありえないことだ。それが常識としてしっかりと刷り込まれているのだ。

要は我々に刷り込まれている先入観が邪魔をして、日本とフランスでの医者と薬剤師の立ち位置の違いに、全く思いがいたらないということにも問題があるのだ。

 

2つ目の違いは、薬局(薬剤師)が担うサービスの質だ。フランスの薬剤師は、いわば高度な専門知識を持った販売事業者であって、医者の処方をもとに製薬メーカーを選び、メーカーでパックされた箱の内容量が処方の必要日数を満たすように取り揃え、手渡して清算するまでの仕事だ。いわば効率と利益を求める流通業者である。見ていると、ハンバーガーショップマクドナルドの店員と動きが変わらないと思えるときがある。薬の効能や副作用についてはもっぱら医者が説明するもので、もちろん質問すれば薬剤師も答えてはくれるが、医者から聞いたことについてもっと知りたければ、薬のパッケージに収められている説明書を自分で読むことになる。

それに引き換え、日本の薬局(薬剤師)は、もちろん利益を求める販売業には違いはないが、どちらかと言うと患者側に立った“調剤サービス”をする場というイメージが強い。薬局が創意工夫して作る服薬指示書には、各薬をばらしてわかりやすいカラー写真にし、服用方法や副作用までが、きめ細かに示されている。お薬手帳なども、いつ何をいくらで購入したかがわかる、患者にとっても便利な記録帳だ。これらのありがたみについては全く理解されていないと言える。日本にいた頃は私自身もそうだった。おそらく、長いこと医薬の分離がされていなかったために、医が提供するサービスの下請けとして捉える傾向があって、今必死でサービス競争をしているのだろうというぐらいの認識だった。

 

フランスの薬局における最大の驚きは、薬の箱売り制だ。商品パッケージごと開封せずにそのまま渡される。各パッケージは、薬ごとに内容量もバラバラだ。私達が手にしたものだけでも、薬によって10個入に14個入、15個、20個、30個、50個、60個、100個入と千差万別だ。これ以外に水に溶かして服用するタイプや、スポイト式瓶入りの液体薬など、なぜこんな形態や個数になっているのか見当もつかないもので溢れている。

例えば、医者の処方が、毎朝食後2錠、1週間(7日間)の服用とあったとする。14錠必要だ。薬局での箱売り商品が、14錠入りでなく、10 錠入りだとすると、それを2箱出してくれる。6錠分無駄な費用を払うことになる。ひどいときは1ヶ月31日分のために、30個入2箱などということもあると聞いた。

いかに多くの無駄が、薬品業界の利益として垂れ流されていることか。消費者の方は、国営の保険制度と民間の保険制度の組み合わせによって、ほぼ毎回の直接支払額はゼロだから、感覚が麻痺しているのかもしれない。この歪んだ構造を是正するのは並大抵のことではないだろう。日本でも、風邪薬として意味のない抗生物質が大量に処方されている現実が告発されたことがあったが、どの国でも巨大な金が動く業界の闇は深い。

しかし、私達には社会問題を云々している余裕はない。毎日の薬の調達は命がけの差し迫った問題だ。1週間で終わる程度の服用ならまだいいが、今現在でさえ、12種類の薬を、1日8回に分けてそれぞれ指定数づつ飲み分けなければならないのだ。しかも途中で服用方法が変わることはあっても、ず〜っと飲み続けなければならないことは変わらない。

この大量の常用薬をきめ細かく整理する体制を、箱売りシステムにすり合わせて行くことが、一般の個人にとってどれだけ大変なことか、想像できるだろうか?

泣き言を言っていても始まらないので、独自の薬配給システムを、試行錯誤を重ねた末に何とか作り上げるしかなかった。箱からすべての薬を取り出して、各服用時間ごとに並べ、それを曜日別に1週間分の薬整理用ピルケース7個にセットする。ピルケースは日本から持ち込んだものだ。1日分の箱の中仕切りは4つしかないから、8回分の仕分けはそれだけでも簡単ではない。1週間分の薬をセットするには、かなり慣れた今でも小一時間はかかってしまう。整理表は薬の種類と用法をマトリックスにしたもの。薬の残量と新規購入ないし医者の処方が必要になる予定日を毎回修正して書き記せるもの。そして曜日ごとに服用時間別に薬を並べて、ピルケースに落とし込む前の準備用台紙の3枚が必要だ。これも何度かやっては修正を繰り返してやっと最近落ちついたものだ。

 

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必要が生み出した自己流の薬の配給整理システム

先日、検査入院の際に、毎日の常用薬を持ち込む必要があった。コロナの影響で入退院時以外は付添は入館できないが、この薬配給整理システム用紙を一緒に持ち込んだところ、看護師にえらく感心されたという。

ついでに持ち込んだ、錠剤を半分に切断するカッターにもお褒めをいただいた。

 

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日本製錠剤カッター

日本にいた頃、薬局に相談して取り寄せてもらった、確か数百円程度のプラスチック製の小さなカッターだ。こちらでは看護師でさえ、ナイフやハサミを使い、毎回飛び散った半かけ錠剤を拾い集めるのだという。

 

こうやって、実体験してみると、日本の薬局制度のありがたみが身にしみる。

日本にいた頃は、あまりに当たり前で、その“神”対応の素晴らしさに全く気づかなかった。むしろ、対応に時間がかかりすぎるとか、明細の項目が不可解だとか、文句のほうが多かったが、今や全く認識が変わってしまった。

日本の薬局で調剤に時間がかかるのは、私が今やっているような緻密な分類を、薬剤師が奥の見えないところで、黙々と対応してくれていたからなのだ。

処方に足りない薬があると、不足分は薬局負担で郵送してくれる。御殿場の薬局で薬に不足があったときは、わざわざ車で、山奥の別荘まで直接届けてくれたことさえあった。フランスでそんな対応はまず考えられない。

今後も日本のその体制はぜひ続けてほしいと心から願うところだ。

 

ただ、こちらの体制にも慣れて落ち着いてくると、他の側面も見えてくる。日本では、店舗を構える接客業は基本的に「お客様は神様」対応が良しとされる。顧客第一主義という文化的伝統もあって、客の方はそれが当たり前となると、いつしか上から目線で態度も横柄になりがちだ。献身的奉仕精神の反対側に対峙する影の部分かもしれない。

日本の薬局店頭での客(患者)の基本的態度にもそういうところがあって、医者に対する態度とは正反対だ。

私は日本にいたころからその感じが嫌でしようがなかった。居酒屋でもコンビニでも、なんで客は店員に対してそんなに偉そうなのかわけが分からなかった。店に利益をもたらすためには、仕方ないことという暗黙の了解が、客にも店側にもあるのかもしれない。無意識のパワハラといってもいいのではないか。

薬局に限らずフランスでの接客業を日本のそれと比べると、違いは大きい。

フランスには顧客の方が店員より偉いという感覚がまずない。お互いに家族を持つ生活者として、尊重すべき人格を持つ対等な人間同士という感覚が前提にある。だから、名前は知らなくても家族の話や病気の話などお互いによく喋る。後ろで待つ人も別に文句も言わずに待っている。大型スーパーのレジでさえ、おしゃべりに花咲くときがある。もちろん勘違いしたスノッブな輩もいないわけではないが、そんな人間はあからさまに嫌われる。特に私の住むこのあたりでははっきりしている。

考えてみると、この感覚の原点はやはり、市民革命の基盤である人権宣言に基づく国是「自由、平等、博愛(友愛)(Liberté, Égalité, Fraternité )」にありそうだ。多くの血を流して専制君主の圧政から個人の権利をやっと勝ち取ったのに、たかが客の立場ぐらいで偉そうにされてはたまらない。社会的に必要とされるサービスは目の前の店員ではなく、社会制度によって、それぞれの専門家が担うべきなのだ。実は調剤の面倒な整理は多くの老人や社会的弱者にとって、深刻な問題であることは周知のことだ。ただそれを補うのは薬局の店員ではない。ソーシャルワーカーとか、市役所の担当職員の役割だ。つまり税金で、皆で負担を分かち合うのであって、店員の献身的サービスで補うべきものとは誰も考えていない。市役所の相談窓口に行けば、調剤の負担軽減にもかなり具体的に対応してくれる。一方パリの高級ホテルやレストランでの、かゆいところに手が届く顧客サービスには、それ相応のチップが払われる。滅私奉公とはわけが違うのだ。

私は、日本の生活が長かったせいもあるが、こと薬局の基本的体制については圧倒的に日本の制度のほうが優れていると思う。少なくとも患者側からみれば感動的に優しいシステムだ。もし、日本的対応をする薬局がこちらにオープンしたら必ず大きな成果を上げるとも思う。ただ、対応する店員側の精神的、肉体的ストレスについては日本にいる時には考えたことがなかった。こちらに来て、日本のサービスを受ける側の心地よさを感じると同時に、提供側のストレスも理解するようになった。

ここには、根本的に違う文化的背景があることだけは確かであり、フランスの薬局が日本的な体制に変わることは決してありえないだろうとは思うのである。