国際カップル半世紀、満身不具合夫婦のフランス移住紀行ーその13

フランスの子供/家庭/結婚

 

つい先日、フランスの甥っ子に初めての子供が生まれた。男の子だった。

これで、無事実家の家名を継ぐ男の子が生まれたと喜んだのだが、周りを見渡すと、何やらトンチンカンな喜びようだと気付かされる。どうやらすっかり時代は変わっているのだ。男の子が家名を継ぐという概念がすでに法的にもまったくなくなっている。

私がパリで結婚したころからみると、結婚や子供を持つことに関して、この半世紀での変化は凄まじい。

こちらで暮らしてみると、日本にいては気づくことのなかった目に見える様々な差異や変化を肌で感じ取ることはできる。しかし、その差異が生まれた背景や、どういう経緯でそうなったのかまではなかなか理解は難しい。周りのフランス人に聞いても詳しく解説できる人はめったにいない。

例えば、夫婦別称制度や、未婚のカップルが年間の結婚カップルとほぼ同数いる事実など当時は考えられなかった。それに、街で見かける子供の数がやたら多いのにも驚くのだ。未婚のカップルの子どもたち、いわゆる婚外子もごく普通に社会に溶け込んでいる。2〜3年前の統計で年間出生児の6割に達するのだという。

私達の娘も名字は変わっていないし、孫の名字も正式には両姓の併記だ。

 

Biarritz界隈は、リタイアした老人の安寧の場としても有名である。しかし、街には老人も多いが、見かける子どもたちも、負けじと多いのだ。

杖をつく老人カップルのそばを、おしゃぶりをくわえた金髪の子供がよちよちと歩き回る。思わず老人たちが笑顔で話しかける様はなんとも微笑ましい。

以前、富裕なリタイア族が集まるアメリカのフロリダ海岸を冬に訪れたことがある。美しい白砂のビーチにリクライニングチェアが延々と並んでいて、そこで日光浴をしているのは、全員が色とりどりのひざ掛けをした老人だった。その異様さが忘れられない。

老人だけの世界は、いくら風光明媚で、豊かな施設に恵まれていても、どこか寒々として寂寥感に駆られるのだ。

それに引き換えると、ここには全世代が揃っている。あえて言えば、老人と子供が目立つと言えるかもしれない。なんとも明るく希望に満ちた光景だ。ちいさな子供たちが街に溢れている様は、それだけで人々を幸せな気分にしてくれる。

この半世紀の間に何があったのか、興味が湧いていろいろ調べ始めた。様々な統計データにもあたってみると、思った以上の劇的変化が起こっている。

しかもこの変化は自然発生的なものではなく、はっきりとした政策の結果だ。

 

まず1972年から、嫡出子・非嫡出子の区別がなくなった。どんな状況下で生まれた子でも同等の権利を有することが法制化された。つまり子供の生育に親の結婚は関係ないとされたのだ。結果、婚外子は1980年代から急増し、2017年には約60%となったのだという。

2012 年から2017年まで大統領を務めたフランソワ・オランド(François Hollande)氏自身が、パートナー、マリー・セゴレーヌ・ロワイヤル(Marie Ségolène Royal)氏との間に4人の婚外子をもうけて、家族として暮らしていたのだ。後に離婚とは言わない離別をしている。

ここまでの社会の激変の背景にいったい何があったのか、さらにあたってみることにした。

 

インターネットサイトにも、フランスの結婚観と制度の変化に関する情報は数多く載っている。その中でも、パリ在住のライター高橋順子氏のきちんとした取材に基づく報告がとてもわかり易かった。日本語で読めるのもありがたい。

以下、引用しながら概略を紹介しよう。(引用文は斜体)

 

まず、フランスでは、結婚も離婚も日本より手間がかかる。

それに対して、パクス(PACS=Pacte Civil de Solidarité 連帯市民協約)という、結婚より簡易な制度で公式に世帯を作ることができる。

税の優遇や各種手当てなど、享受できるものは、結婚でもパクスでも大差ない。2017年の婚姻は23万3000組、パクスは19万3000組、新世帯の45%を超える。一方そのどちらも選ばずに共同生活を続けるカップルもある。パクスの選択もそれなりに手続きは面倒だ。先がどうなるかわからないし、子供の生育に差がないなら、税制上のメリットがなくても、パクスでさえいらないという若いカップルも少なくないという。婚外子が6割を超えてしまえば、別に子供が差別されることもない。

 

フランスの結婚が、してもしなくてもいい選択になってしまった大きな理由は、行政面や社会面で、結婚によって得られるメリットがほぼなくなったことによる。

例えばフランスには日本のような「氏」単位の戸籍制度がない。婚姻夫婦はそれぞれ「生まれた時の姓名」を維持して、新しい世帯を「AさんとBさんが横並びする共同体」として構成する。配偶者の姓を名乗ることもできるがそれはあくまで通称で、公式書類の姓名は別途改名の手続きを踏まない限り、一生、生まれた時のままだ。その世帯に生まれた子どもは両親のどちらか、もしくは両方の姓を組み合わせた姓を名乗る。

公的な身分上、配偶者間に「扶養−被扶養」の力関係がない。片方に職があっても無くても、二人の所得にどれだけ差があっても、世帯所得は単純に合算し、頭数とセットで税申告をする。所得税控除の有無や負担額は、「その頭数の世帯でどれだけ収入があるか」によって決まり、頭数が多いほど税額が下がる仕組みだ。

そのほかにも、結婚制度のあらゆる点で「配偶者Aと配偶者Bの違い」がない。そのため日本の結婚後の改姓のように、「配偶者Aが配偶者Bに合わせて何かを変える」という行政上の必要が発生しない。

結婚による行政上の変化がない社会では、働き方、その他生活全般への影響も、必然的にほぼゼロだ。

しかし、日本にも多大な影響を与えた1804年成立の、ナポレオン1世の時代のフランス民法では、結婚を規定する第213条にこう記されていた。

Le mari doit protection à sa femme, la femme obéissance à son mari.
夫は妻を保護し、妻は夫に従わねばならない。

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1804年制定のナポレオン法典


 

結婚前は父親、結婚後は夫に従い、未成年・犯罪者などと同じく「法的能力を持たぬもの」(第1124条)とされた。参政権も財産所有権もなく、就業や給与所得にも夫の許可が必要で、親権は父親にしかなかった。つまり女性は父親か夫、どちらかの男性に「保護されて」生きる存在だったのだ。

そんな状況が変化したのは19世紀の後半、ヨーロッパ各地で女性解放運動が徐々に高まっていった頃から。第1次大戦のあおりで女性の労働力が必要とされ、同時に社会的発言力も強まっていた。既婚女性の「法的な無能性」法文は1938年に削除され、1944年には女性参政権も認められた。

日本で女性参政権が認められた時期とほぼ同じだ。

それでも家庭内での女性の位置はなかなか改善されず、妻が夫の許可なく就業できるようになったのは1965年。親権が両親に平等に認められるのも、母子家庭の婚外子差別が撤廃されるのも、1970年代まで待たねばならなかった。

世帯内の夫婦別姓、離婚後の未払い養育費の給料天引き強制徴収制度などは、21世紀に入って達成されたものだ。

男女平等は、1970年代から加速した。が面白いことに同時期、男女平等が進むのに合わせて、非婚者がどんどん増えるという逆転的な現象が起こった。1970年には1000人当たり7.8だった婚姻率が、1980年には6.2、1990年には5.1と、落ち込みが数字にも明白に現れた。

しかもなお悪いことに、そこに少子化までセットでついてきてしまったのだ。合計特殊出生率は1970年2.55、1980年1.85、1990年1.77と、こちらも下方推移が止まらない。子どもの数は減るばかりだった。

日本の2019年の特殊出生率は1.36だと言うから、深刻度はもっと大きい。

フランス政府は、大いに焦って様々な調査を行った。そこで俎上に上がったのが、結婚制度とその他の社会制度における、男女格差の改善具合の「ズレ」だった。

給与や待遇などの労働条件や子どもの保育手段、家事育児分担など、結婚制度以外の男女格差是正が進んでいなかった。女性が社会に進出する権利を持っても、子どもを持ったら働き続けることが難しく、結局家庭に引き戻されてしまう。仕事か家庭かの選択を迫られて、仕事を選ぶ女性が増えたのだ。

シングルで子どもを持てば、給与格差と保育手段の不足でたちまち貧困に陥る。年金額も必然的に低くなり、老後まで貧困問題に晒される。女性たちは結婚という従属から逃れたと同時に、そこで受けていた保護も失ってしまったのだ。

今の日本の現実はこのあたりに近いのではないだろうか。

フランスでは人権意識や社会の在り方は、ここでとどまってはいなかった。

女性を貧困から救い、出生率を回復させて国を維持していくには、社会全体の男女格差是正に本気で取り組むしかない。そうしないと、国として立ち行かなくなる。1990年代、意思決定機関の多数派だった男性たちも、やっとそう理解したのだ。

1995年には首相直轄で男女同数(パリテ)監視委員会を創設、1997年には社会全体の男女格差について大規模な実態調査を行い、「どこをどう変えたら、男女格差が是正されるのか」の洗い出しを行った。

調査検討会のもたらした結論は「政治・経済の意思決定現場に、女性の数を増やすこと」。そのためにまず、立法根拠となる大元の憲法を改正しようと、1999年、国民主権を定める憲法第3条に「フランス法は国民の代表者選出に際し男女平等を促進する」との一文を追加した(この一文はその後2008年、「代表者選出および職業上・社会上の責任において」と加筆され、フランス共和国を定義する憲法第1条に格上げされた)。

2000年には政党に男女の候補者数を揃えることを義務付ける法律(パリテ法)、2001年には職業上の男女平等を促進する新法、2006年には男女給与格差是正新法を施行。同時に保育支援の充実や父親の家事育児参加推進策を打ち出し…と、一つ一つモグラたたきのごとく、法整備を進めて行った。

そうできた一番の理由は、新しい家族のあり方を社会が受け入れたことだ。この国の現実はもう、『結婚した夫婦、大黒柱の父親と専業主婦の母親と子ども達』のモデルだけでは表せない。家族には様々な形があると認め、国家はその様々な家族を支えていこうと、方向転換したのだ。

怒涛の政策攻勢が功を奏し、フランスの合計特殊出生率は2000年から回復軌道に乗り、2006年、およそ30年ぶりの2.00越えを達成。最近4年の出生は再び微減傾向にあるが、欧州をはじめ先進国の間では依然、最高ランクをキープし続けている。

女性たちが結婚の枠外でも子を持ち、生きていける社会になった。出生児の6割が婚外子の数字は、その象徴的なものだろう。ただこの表現には注意が必要で、生まれる子の親の約9割は両親揃って同居生活をしている。婚外子=一人親の子、ではないのだ。そして結婚を選ばない親の多くは、冒頭で触れたパクスを利用している。

日本でもかなり知られるようになったこのパクス(PACS=Pacte Civil de Solidarité 連帯市民協約)の成り立ちが面白い。

もともとパクスは、同性カップルを結婚制度に入れないために作られたもの。同性婚を認めたくない保守勢力と、人権として認めるべきだという人々の妥協案だったのだ。結婚ではないけれど、税制などで結婚と同等の権利を得られるものとしたのだ。

しかし実際に施行してみたら、利用者の圧倒的多数は異性カップルだった。2017年、全19万3000組のパクス締結のうち、同性カップルは7336組。つまりパクスの96.3%は異性カップルで占められている。

そして、2000年代後半には結婚制度の方も、ほぼ性差が解消されていた。そこで議論の矛先は『同性婚を認めるか否か』というものから、『結婚に性差がないなら、同性同士を認めない理由もない』という風に変わったのだ。

フランソワ・オランド大統領の時代、2013年、結婚から性別の概念を無くす通称「みんなの結婚法」が成立。170時間に及ぶ審議を牽引し、賛成331・反対225で法制化を実現したのは、女性司法大臣クリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira=仏領ギアナ出身の黒人急進左派議員)だった。

それ以来、フランスの結婚関連の法律には、男女の性差を表す語彙がない。「夫 mari」「妻femme」は「配偶者époux/épouse」に、「父 père」「母 mère」は「親 parent」に置き換えられている。

 

現代フランス政治研究所が行っている調査で、『あなたは家族を信頼していると言えますか?』という質問項目に、93%の人が「はい」と答えている。それだけの人が、家族を信頼の置ける拠りどころと考えている。それはフランスの人たちにとって、家族がかつてのような「従属させられる場所」ではなくなったからだと、政府関係者は分析している。望む人と望む形で作り、立ち行かなくなったらいつでも作り変えられる、自分自身でいられる居場所。それが現代フランスの家族であり、それを可能にするのが現行の家族政策だ。

 

子ども関連の公的支援は「その子の親」だから受けられるもので、親が結婚していようがいまいが無関係。親権は両親の間柄を問わず共同が原則で、嫡出子と非嫡出子の違いも存在しない。結婚には遺産相続や遺族年金の配偶者受給資格などのメリットがあるが、若い人にはあまりにも先のことで、「そのために結婚しよう」という動機になりにくい。

今や世帯の種類の回答項目には、男対女+実子、男対男+養子、等々17種類あるという。

 

引用が長くなって恐縮だが、以上が、この半世紀、特に2000年代から急激に変化した社会の実態である。

こうしてみると、日本に半世紀暮らしてからこちらにくると、浦島太郎の心境だ。ただ、子供と老人が共に笑顔で暮らせる生活の基盤は、この革新的政策が支えているのだということがわかる。

北欧やニュージーランドでも進む一見突出した社会革命は、単に人口が少ないからとか、移民の国だからなどの理由だけではない。ヨーロッパが目指す自由と平等の理念は、具体的政策の実現に向けて各国が同じ道を歩んでいる。それが早いか遅いかだけの問題だ。フランスもまだまだ途上にある。

ここへきて、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(Pope Francis)は、同性カップルの法的権利を認めるパートナーシップ制度「シビルユニオン」への支持を表明した。歴史は動いている。

 

私はここで、日本の現状との比較をしようとは思わない。この分野について比較ができるほどの知見があるわけでもない。しかし、おそらくは日本も遅かれ早かれこの方向へ歩まざるを得ないに違いない。

 

今のフランスには自慢できるものが3つあるという。

チーズとワインと家族制度だそうだ。